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花の雑談・論評





消費・流通のことあれこれ








消費・流通の雑談@花の消費は減退するのであろうか





 花の消費の将来を予測した衝撃的なデーターを農林水産省が発表しています。2007年度に比べて、2025年には消費は28%も減少するという予測です。これはたいへんなことです。もちろん、これには前提条件が付いています。それは、簡単に言えば、何らかの消費拡大策などをとることなく、現状のまま推移するならと云うことです。現状の消費動向や年齢別の花き消費額、人口の減少動向などに基づいた総合的判断をすればこうなると云うことだと思います。

 しかしながら、このような悲劇的とも云えるデーターは信じたくないという気持ちがまず先に立ちますが、ここは冷静に、「何もしなければ」という前提にということに対して、花き関係者としては重く見なければならない警鐘と理解するべきなのでしょう。

 そのように理解すれば、我々はいったいどのような努力をしてきたのだろうか、あるいはしようとしているのだろうか、ということを考えてしまいます。実態は、何もしていないということにつきるように思えます。もちろん、産地によって、あるいは流通関係者によって、現状の苦しい状況を打開するために、いろいろな工夫がなされていることを評価しないわけではありません。むしろそのような行動を期待したいと思います。それらの努力の積み上げが、消費拡大に繋がるのも事実でしょう。

 ただ、既存の体制を何とか守りながらの思考回路だけで改革を考えるなら、「これは無理だ」ということで改革そのものに尻込みするか、または、思考回路の枠外になって微修正ていどの改革になってしまうことが多いに違いないと思います。

 たとえば、今年、農林水産省は日持ち保証(いわば賞味期限のことと考えて良い)を推進する施策を発表しています。となると、消極派は、補償金は誰が負担するのか、店に並べていた期間がばれてしまう、保証期限が近づくと売れなくなり廃棄せざるを得ないものが大量に出る、切り花は1本ずつに分けられて販売されるのだから保証は基本的に無理だ、農家にしわ寄せが行くのではないか、などの議論が沸騰し、やがては結論として日持ち保証などはとても無理だとの結論に達します。既存の体制を前提にした思考回路ならこのような結論になります。そして、このような意見を聞いていると、いったい目線はどこにあるのだろうかと考えてしまいます。日持ち保証は消費者目線に立ったときに出る考え方であり、逆に、業界としてはそれをどのようなメリットにつなげていくか、との前向きの検討が欲しいものです。日持ち保証は一例に過ぎません。

 消費者に目線が向いていないで、本当の消費拡大などあるわけがありません。このような視点で、多少の雑談を進めてみようかと思います。




消費・流通の雑談A流通は変化している





 市場は威勢良くセリ取引するところだと思っている人は多いと思います。市場の長い歴史が市民にそのような印象を植え付けてきたのでしょう。

 ところが、花き関係者なら誰も知っていることですが、現在は競売しない販売の方が遙かに多くなっています。競売はどんどん減っています。切り花に比べると、鉢物関係はまだセリ取引の比率が高いのですが、それでも、鉢物関係主要6社の現状では右の図のように半分以下になっています。そして、さらにセリ取引の比率は低下する一方です。この原因はなんといっても量販店の販売比率が高まっていることによります。

 いま、市場での花の販売単価はたいへんに安くなっており、生産農家の経営はたいへんに苦しい状況に追い込まれています。これが実態かと思います。にもかかわらず、農水省の統計で卸売価格の推移を調べてみると、左の図のように価格の低下傾向は必ずしも認められません。この農家の実感と統計とのずれは何なのでしょうか。統計が間違っているわけではないと思います。

 これは、競売の比率がたいへんに下がっている実態との関連で考える必要があります。要するに競売単価と競売以外の取引による単価との差がたいへんに大きいからです。鉢物関係の主要6社で、この関係を調べてみると、右2段目の図のような結果が得られます。競売価格は30〜40%ほど低いのです。そして、これを平均した価格で見ると、鉢物価格の低下傾向は認められないという農水省のデーターのようになるのです。

 とすれば、農家の苦しい実態は、従来の取引法である競売に頼る比率が高い農家で極端に現れると言うことになります。この場合は、最近の価格低下の傾向を極端に感じることになると言えるでしょう。

 まだ、全ての生産物を相対取引など競売以外の取引が100%という人はまず無いでしょうが、この比率をいかに高める努力をするかが、これからの方向としてたいへんに重要でしょう。このためには生産者自らの営業活動が必要だと言うことになります。

 少し、話題を変えますが、日本には農産物を取引するための卸売市場があって、農家は市場に出荷さえすれば、市場がすべて販売してくれるのが普通です。これはたいへんにありがたい組織であって、農家は生産努力さえすればよく、従来は営業努力を必要としませんでした。営業努力があるとすれば、良い物を作れば高く売れるという品質競争であったと云えましょうか。その故に、品質は異常なまでに高い水準になってきたと思います。しかし、このようなシステムは、国際的にみれば例外中の例外で、世界のほとんどの国は日本のような市場はなく、生産農家が営業活動しているのです。いま、市場に頼れば売れるという気楽な時代ではなくなってきました。日本の生産者も、諸外国並みに自らの営業が必要だと考えねばならない時代になっていると言えましょう。
 




消費・流通の雑談B花の日持ち保証について





 ヨーロッパの量販店では、切り花の日持ち保証は常識的になっているように思えます。日本では、日持ち保証はまれにしかなく、ほとんど見かけません。

 右上の2枚の写真はイギリスロンドンのスーパーマーケットで、花束に添付されているラベルです。観賞できる期間は○月○日までという記載と、14日間の保証との記載です。花の種類によって、あるいは国によって保証期間は異なりますが、7日保証が最も多いように思います。

左の写真は南アフリカのガーデンセンターで入り口に掲示してある返品受付の看板です。14日と書いていますが、これは、個々の商品での記載ではなく、店の商品全体に対するものです。

 右2段目の図は、切り花に対する消費者の要望を調査した農林水産省のデーターです。消費者は明らかに「長持ちする花」を望んでいることが分かります。「新鮮な花」も質的には同じようなことですが、この2つの項目は、外観ではわかりにくい品質になります。「色の指定」や「種類の指定」は外観で分かる品質項目です。消費者が目で見て分からない品質部分は、日持ち性や鮮度ですから、この情報こそ消費者に対して発信すべきことなのではないでしょうか。消費者目線で物を考える必要があることの代表的なものではないかと考えます。

 この原点は、農産物に対するトレサビリティの考え方にあるのではないでしょうか。ケニアのバラ生産農場では輸出用の花束には2枚のバーコードが張られており、1枚は栽培した担当者とハウスがわかり、もう1枚は選別結束した担当者が分かるようになっています。輸出先からクレームが来れば、すぐに、その原因追及ができるようになっています。このような品質管理体制の考え方と日持ち保証に対する考え方はその原点で共通しているように思います。

 ところで、日持ち保証は、国際的に見て常識のことであると言いながら、量販店で行われるのが主流で、専門店は必ずしも行っていません。しかも、多くの場合は、海外の農場で花束加工までされています。日持ち保証のラベルとバーコードがケニアなどの産地で張られています。そして、消費者からクレームがあったときはすぐにケニアの農場に連絡され、バーコードによって同じ条件の花束を作り、その原因解明の試験が即日行われます。それほどに厳格なトレサビリティが行われています。

 輸入品は地球の裏側にあるような国からでも収穫して少なくとも2日後には消費地の輸入業者に届くなど、鮮度は良く、しかも産地規模が大きいので、日持ち保証を行うことが容易です。輸入業者はそのうちに日本で日持ち保証を始めるであろうと考えられます。問題を単純に考えて、日持ち保証されたものとされないものが店頭に並んだとき、お客さんはどちらを選ぶだろうか、答えは考えるまでもなく明解なはずです。ならば、輸入品に先がけて、国産品で日持ち保証の実践をしようとする積極的な姿勢が欲しいものだと思います。そのような積極姿勢が産地振興に繋がるであろうと考えます。

 品質保証は、おそらく従来の既存の取引システムの中では実行できないであろうと思います。いわば、仕掛けが必要な分野です。このための新しいシステムを構築することから始めねばならないでしょう。先駆者が勝つであろうと考えることもできますから、是非、産地で取り組んでいただきたいものだと思います。




消費・流通の雑談C束売りは何故3本束なのだろうか





 十数年前のかなり古い経験ですが、ベトナムのダラット高原のある大きな農場を視察したとき、作業場で多くの作業員がバラやスプレイギクなどの10本束を作っていましたが(写真右)、端の方で3本束を作っているグループがありました。これはベトナム国内向きかと質問したところ、「3本束は日本だけですよ」との答えが返ってきました。普通に答えたつもりだろうが、何となく「日本だけですよ」の回答が気になりました。

 よくよく考えてみればこの回答はたいへんに正しく、確かに日本だけなのです。もちろん、これはスーパーマーケットの束売り用の結束です。韓国や中国でも同じような日本向け花束加工が行われています(写真左:韓国、作業風景と日本語を記載したラッピング)。

 どうして、日本だけが3本売りなのだろうか。向こうは悪気のない回答であったのでしょうが、それから以後は、外国の束売りを気にして見るようになりました。確かに日本は世界最小の花束を売っているような気がします。なんだか、貧しい国に住んでいるのかと思ってしまいます。

 おそらく、スーパーさんの販売上の戦略で298円という価格が先に設定され、これに見合う本数が3本だったと考えればよいのでしょうか。しかし、現実にスーパーの販売を見ていると、3束1000円、4束1000円といった販売もしていますから、298円の意味は現在では必ずしも必要なさそうに思えるのですが・・・。

 話がそれますが、3束1000円、4束1000円の販売をしていると、4束のものは売れ残りの古いものではないかと考えてしまいます。日持ち保証や収穫日記載などが無い故に、商品そのものの鮮度に対する不信感が先に立ち、ついつい買わないで帰ってしまいます。

 生産者は10本束(カーネーションは20本束)で出荷しますから、3本束を作るには花束加工という余分の作業が必要になります。それで、日本では花束加工業者ができ、3本束を作成します。この余分な工程が入るために、298円という一見安そうに見える花でも、たいへんに高い花を消費者は買っていることになります。10本束で販売すれば、余分な作業が省略できますからおそらく半額近い花が消費者に提供できるように思うのですが、どうもそのようにはなかなか進みません。

 何故、日本は3本束なのだろうかとかなりの方に意見を聞いていますが、298円説を云う人よりも、日本独特の文化の故と理屈づけする人が多いのに驚いています。1種類の花をたくさん買うよりも異なった花と組み合わせることを好む日本の文化が背景にあるからだとか、日本は一輪挿しの活け方をする文化がある国なのだからなど、現状を肯定する理屈を言う人が圧倒的に多いのです。そうかもしれませんが、現状肯定の理屈を考える文化がある国かと逆に思ってしまいます。日本の国鉄の線路幅は狭軌なのですが、何故だろうと聞けば、日本は国土が狭いからと一見正しそうな理屈を言うのと似ているように思えてなりません。これは、私が子供の頃、小学校でもそのように習いました。ならば、新幹線は何故線路幅が広いのだろうかと聞けば、また面白い理屈を考えるに違いありません。現状肯定理論では進歩は無いと思うのですが。余分なことを書きましたが、何故、花束は3本なのか、考えていただければと思います。





消費・流通の雑談D時代の変化を考える











消費・流通の雑談E品質とは何かを考える